2010年12月11日土曜日

「志をもつ」ということ

今朝は9時に起きて3km走った。
通算3320km(連続1082日目)。

3年前から、ITの世界で一流の人たちを身近に見る機会が増え、
何となく「自分も人に影響を与えられる人になりたい」という
気持ちを持つようになった。

「そのため」という強い気持ちや、「明確な何か」があった訳
ではないがとにかくいろいろな「場」に行ったし「知識」や「人」
と数多く触れ合ってきた。
ホーム&アウェイで言うと、アウェイの世界。
年齢も様々というか、年下が圧倒的に多い。

明確な目標がなかったからこそ、ニュートラルな気持ちで触れ合う
ことができた。「触れ合うことそのもの」を楽しめた。

その時々で、「何のためにやっているのか」とか「それはビジネス
になるのか」と、何度となく問われることがあったが、明確な回答
はできなかった。
会社経営者としては、失格である。

でも、「いくら聞かれても、わからないものはわからない。」
わかるだけの実力がなかったからだ。今は素直にそう思う。

「昔から夢は何か」と聞かれるのがイヤだった。
明確なものを持っていなかったからだ。

行動していくことで、最初アウェイだった場所が、いつの間にか
ホームになっていった。
また次のアウェイを探していき、いつかそこもホームになった。
いつの間にか、福岡のオープンソースの世界で、アウェイがなく
なっていた。どこに行っても、知り合いばかり。

それに符合するように、今年になって、「なんとなくやってきた
こと」のひとつひとつが、ものすごい勢いで繋が始めた。
最初は、そのことに気づいていなかった。本当にそれに気づいた
のは、この数か月ぐらい。

できれば無駄のない人生を歩みたい。合理的・効率的に生きたい。
要領よく生きて行きたい。50年間、ずっとそう思ってきた。
「チャンスがあれば頑張れる」、「やるべきことがわかっていれ
ば何とかできる」。
それは幻想だということに少し気づいた。

人生の課題は、出題範囲が決まっていない「試験」のようなものだ。
出題範囲が広過ぎて、何をやっていいか途方に暮れる。
「呆然として立ちすくむ」か、「とにかくやってみよう」と思うか
で、人生の風景は変わってくる。

志が明確になった瞬間、「とにかくやってきた星屑の数々」が、
ひとつひとつ「志」という中心に向かって集まってきて、大きな
輝きになってきた。
ずっと大した「志」もなく生きてきたことが、皮肉だが良かったの
かもしれないなどと言えば、そうでなかった、私よりはるかに素晴
 らしい方々に失礼だが、素直にそう思う。

昨日は、会社の「半期経営説明会」だった。
3年前に、自分自身の「いろいろな誓い」を宣言した場所。
3年前、宣言をしながら、表情がこわばり、後戻がりできない恐怖
感を味わったことを思い出した。

昨日の資料を作りながら、3年前にわからなかった「志」に行き
着いた。
それは、
「ITエンジニアとは、ITの可能性・面白さを自ら体現し、それを
社会に伝えていく職業である」
ということ。
当たり前のことだが、心からそう思った。

さっきも、志を同じくする仲間と、来年起こしていくいろいろな
試みについて打合せした。
お互いに影響を与え合い、情報を共有しあい、仲間を共有しあう。
それをtwitterやfacebookなどのソーシャルネットが下支えする。
気持ちが高揚し、アイデアが浮かび、すべてが可能だという充実感
に至った。

「過去を振り返ること」、「まだ来ない来年に思いを馳せること」
はこのぐらいにして、まだまだ、今年のうちにやるべきことがたく
さんある。

来週も「打合せ」と「出会い」が満載。

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