2010年8月25日水曜日

今朝も5時に起きて3km走った。通算2994km。













娘二人が関西にいるので、何かと行く機会が多い。
時間が取れるときは、そこをベースに京都や奈良や高野山などに
一人修学旅行に行く。
薬師寺も好きな寺の一つだ。



『木も人も“癖”があるからこそ、生きてくる
                      (最後の宮大工、西岡常一棟梁に学ぶ)』

西岡常一さんという、法隆寺金堂や薬師寺金堂、西塔の再建に腕をふるった
“最後の宮大工”といわれた方(明治41年~平成7年)のお弟子さんの話です。

西岡常一棟梁に学んだ心、それは、「木の命」、「木の心」を知り、それを「生かす
心」です。
木は、雨に打たれ、冬には雪で押しつぶされ、春になると雪が溶け、傾いた木は
起き上がり、毎年右に倒れたり、左に倒れたりして、上へ上へと少しずつ伸び、
成長し、やがて1本の大木になります。最初から真っ直ぐな木などありません。

社寺建築では、そうやって気の遠くなるような長い年月をかけて育った、それ
こそ樹齢数百年から千年以上という巨木が御用材として使われます。
森の精霊が宿るような神々しいばかりの木の命を頂戴し、寺や神社を造るのです。
何と有難いことかと手を合わせ感謝する。

そして、古建築の粋を集め、精魂を込めて、それらの大樹が刻んだ年輪に匹敵
するような新たな命を御用材に吹き込み、数百年から千年以上の風雪に耐える
社寺を建立する。あるいは修復する、それこそが宮大工の務めです。

その際、大事になるのは、「木の癖」を読み、上手に組み合わせて使うことです。
これをうまくやらないと、年輪に見合うだけの長命を御用材に吹き込むことが
できません。
木というのは、山の南側、北側、谷、峰など、育つ場所によって、同じ種類の木
でも、生長や材質に違いができます。生育環境の違いによって、右にねじれたり
左にねじれたり、節が多かったり、柔らかかたり、硬かったりと、それぞれに
異なった特性を持つようになります。

山の木は、一本一本みな違います。これを「木癖」といいます。
木癖を読みきり、適材を適所にあてがうことで、建築の歪みを防ぐとともに、
長年月の風雪に耐え得る堅牢な社寺建築を実現するのです。

木も人も癖があるからこそ、生きてくる。
これは、人を育て、使うことにも通じます。木がそうであるように、人もまた
一人として同じものはありません。
みなそれぞれに癖があり、得手不得手を持っています。
いい面だけでなしに、短所や欠点も生かして初めて、その人の潜在能力は十全
に発揮されるのではないでしょうか。
木も人も、癖があるからこそ生きるのです。

*写真は薬師寺サイトのもの。
向かって右の「東塔」は、西暦700年ごろの創建。
左の「西塔」は、西暦1981年の創建。
色合いの違いは仕方がないとして、屋根の反りもずいぶん違います。
西岡棟梁曰く「400年も経てば同じぐらいの反りになるよ」とのこと。
悠々たる仕事ぶりです。

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