2010年11月22日月曜日

残るもの、残らないもの

今朝は久々に休みをもらった。
で、8時過ぎに3km走った。通算3263km(連続1063日目)。
兵庫県西宮市の次女の部屋在住(笑)。

今日は、ここを起点に京都に足を伸ばした。
本格的な紅葉シーズンは初めて。
平日だが、休みの合間ゆえ「人大杉」。

梅田に出て、阪急で「河原町」へ。
あとは自慢の脚力にモノを言わせて、10数キロは徒歩。
近場で行きそびれていた「清水寺」に行く予定が、歩くといろいろ
寄り道をしてしまい「建仁寺」に。





上の龍は、現代画家の手によるもの。秀逸な作品だ。

そこから祇園を抜け、ようやく清水寺に。


いにしえの日本人は、いまでも急峻な地に、そのころは今の100倍、1000倍の困難さがあったろうに、なぜにこのような建造物を作った
のだろうか。

こうまでしないと救えない何かがあったのか、悠久の歴史の一部であり
語り部である自身についての、不動の、確信に満ちた自覚があったのか。
それとも「ひたすら今を生きる」という、ひたむきな生き方ゆえか。

京都や奈良や、各地の神社仏閣や歴史的建造物は、これからも残り続ける。
六本木ヒルズや、東京ミッドタウンや、スカイツリーが解体されたあとも。

現代人は、自分の生きた証の何を後世に残すのだろうか。

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