2011年1月22日土曜日

ソーシャルネットワーク帝国という予感

先日、映画「ソーシャルネットワーク」を観た。


ソーシャルメディアを推奨する者として、観ないとまずいだろうぐら
いの気持ちで観に行った。

感想は一言「驚いた」。
観終わって、しばらく言葉が出なかった。

役者の台詞の疾走感、ストーリー展開の疾走感、それが実話だという
高揚感と緊張感。
2時間の映画が2時間に思えなかった。エンドロールが流れて、
はじめて終わりに気がついた。

かの音楽配信P2Pサービス「napstar」を立ち上げたショーン
パーカーも登場するが、彼の役割はパラノイア。
彼はfacebookの発展に大きく寄与する。

パラノイアは別にショーンパーカーだけでなく、間違いなくマーク
ザッカーバーグも同じだ。

どれだけ「人と価値観が違い」、どれだけ突出して「変」で「執着」
するかが、変化の時代には必要だ。
「普通で平均的」ということは、確実に地位が低下していくという
ことだと気づく必要がある。
 facebookのことは「ふ〜んそんなのがあるんだ」で済まされる話
ではない。

中国(13億人)、インド(12億人)に次ぐ人口(約6億人)を
持ち、その多くは、知的レベルや好奇心が高く、しかもfacebookと
いう神経網で日々つながり、情報を交換・共有し、驚くべきスピード
でコトを展開していく。
ソーシャルを使わないで勝負するのは、車と飛行機ぐらいの差が
ある。

数年後、世界の覇権を握っているのは、物理的な国家を超えた
ソーシャルネットワーク帝国かもしれない。

「そんな馬鹿な」って?

でも、インターネットが登場した1990年代後半に、今日のインター
ネットの隆盛を予感した人はほとんどいないし、国家の思惑を超えて
情報が行き交っている。
Google、amazonのような企業の登場を予言した人もいない。

未来はいつだって、その時代の「普通の人」の予想をはるかに超えている。

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